2017年06月25日

船村徹の「都会のカラス」の譜面を見て思う

作曲家船村徹が亡くなったのは何か月前のことだろうか。亡くなってしばらくして、絶筆「都会のカラス」の譜面が新聞の広告に載っていた。これを見て思ったことがある。
船村の譜面にはコード(和声)が書かれていなかった。これは作曲といえるのか。
昔、私は恥ずかしいことに、メロディーだけ書けば作曲と思っていた。ところが、雑誌「どうよう」の読者の曲投稿欄の講評で、講評者が「メロディーにはコードをつけること」と投稿者を叱っていたのを見て、作曲に対する考えを変えた。作曲にはコードも必要なのだ。
私はそのときまで、作曲のまねごとはしていた。ピアノをやっていたからコードは当たり前につけていた。メロディーだけ提供する、という機会はわずかしかなく、その時もコードを同時に書いたはずだ。それが、プロの作曲家ともあろう方がなぜコードを書かないのか。
一つの理由として、亡くなる間際だったからコードをつける暇がなかった、ということが考えられる。しかし、この仮説は他の自筆譜を見たことがないので検証できない。
作曲とは何だろうか。
posted by まりんきょ at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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