バッハの曲はいつ聴いてもいい。久しぶりにブランデンブルク協奏曲のうち第2番、第5番、第6番を聴いた。第6番はヴァイオリンがなく、中音域以下のヴィオラ・ダ・ブラッチョ(肩で支える普通のビオラ)、ヴィオラ・ダ・ガンバ(脚で支える)、チェロ、コントラバスで演奏される。この響きが何とも言えず落ち着く。
2014年10月11日
2014年10月10日
積み残した仕事にため息をつく
仕事といっても勤務先だけのことではないのだけれど、積み残した仕事が多くある。なんとか片付けないとと思うがなかなかはかどらないのでつらい。
2014年10月09日
さんまを食べる
秋の味覚ということばで思い出すのは何だろうか。マツタケとは縁がない俺には、やはりサンマだ。今晩の夕食で焼いたサンマが食えたのでうれしい。
2014年10月07日
SVOC ということばを久しぶりに聞く
職場の机の前に、エスペラントで掲げた誓いを掲げている(内容は秘密)。これをみたある方が「これは何語ですか」と尋ねてきた。エスペラントだと答えると、「SVOC ってあるんですか」という、好奇心のかたまりのような質問をしてきたので内心驚いた。とはいえ何もなかったかのように、「SVOC はありますよ」と回答した。なお、SVOO はないということまでは説明しなかった。
たまたまこの日は、カバンに川崎直一の「基礎エスペラント」を入れて読んできていたのは、何かの偶然だろう。
たまたまこの日は、カバンに川崎直一の「基礎エスペラント」を入れて読んできていたのは、何かの偶然だろう。
2014年10月06日
台風に会う
この日は午前中台風が猛威をふるっていた。仕方なく通勤をあきらめ、自宅にいた。とはいえ、交通機関は本数は減っても動いていたから通勤も可能だったろう。ただ、いつ止まるかわからないという危険と隣り合わせでは仕事はろくにできないと判断して自宅にいた。この判断が正しかったかどうかはわからない。
2014年10月05日
会津から帰る
この日は会津の2日めである。午前と午後、別の場所で足湯隊が足湯を提供し、音楽隊が演奏を披露した。午後は、会津若松発の会津鉄道の発車時間が迫っていたので途中で私は去ることになった。これが心残りだった。
午後15時37分発の会津若松発の列車で、会津田島についたのがほぼ一時間後。そのあと野岩鉄道と東武日光線と乗りつぎ、鬼怒川温泉駅で特急に乗り、自宅についたのが午後21時少し前であった。これが郡山経由新幹線だったらもっと早くついただろうし、若松発郡山着までの高速バスと、郡山発新越谷着の高速バスを使えばもっと安かっただろう。まあ、鉄道が好きなこともあるが、中途半端なことが私には似合う。
午後15時37分発の会津若松発の列車で、会津田島についたのがほぼ一時間後。そのあと野岩鉄道と東武日光線と乗りつぎ、鬼怒川温泉駅で特急に乗り、自宅についたのが午後21時少し前であった。これが郡山経由新幹線だったらもっと早くついただろうし、若松発郡山着までの高速バスと、郡山発新越谷着の高速バスを使えばもっと安かっただろう。まあ、鉄道が好きなこともあるが、中途半端なことが私には似合う。
2014年10月04日
会津若松に行く
実はこの日、都内である宴会があったのだが、そちらを断った。理由は会津若松に用事があったからだ。
前日郡山に宿泊していたのは、朝早くに会津若松に着く必要があったからだ。郡山を6:30 に出て若松に向かう高速バスがあるのでこれにのると、結構若い人が乗ってくるのに驚いた。しかも会津若松近辺で降りるこれらの若い人たちは、ほとんど定期を持っているのだった。郡山から会津若松まで磐越道を使えば1時間と少しなので、重宝されているのだろう。ちなみに、当初は磐越西線に乗るつもりでいたが、時間が合わないのとすでに鉄道には乗ったこともあるのとで、初めて乗るバスのほうに日和見してしまったのだ。
会津若松で何をするかというと、福島県の大熊町から会津若松市に避難してきている人たちの慰問である。実は、足湯で慰問をする足湯隊が各所で活躍しているので、私が所属している音楽隊もそれに乗っかったということである。会津若松の指定された拠点につくと、すでに打ち合わせが行われていた。また遅刻である。
会津若松市には大熊町からの避難者が住む仮設住宅が何か所かある。この日はそのうち一番大きな仮設住宅に行き、午前、午後それぞれ2時間ずつ、足湯隊は足湯を提供し、音楽隊は音楽を披露する、という予定であった。いろいろなことはあったが、なんとか終わった。
その後、会津若松駅近くの温泉に入ったあと、拠点に戻り、足湯隊と音楽隊の合同反省会を行った。私は疲れて途中で抜けてしまった。最近途中で抜けてしまうことばかりだ。
前日郡山に宿泊していたのは、朝早くに会津若松に着く必要があったからだ。郡山を6:30 に出て若松に向かう高速バスがあるのでこれにのると、結構若い人が乗ってくるのに驚いた。しかも会津若松近辺で降りるこれらの若い人たちは、ほとんど定期を持っているのだった。郡山から会津若松まで磐越道を使えば1時間と少しなので、重宝されているのだろう。ちなみに、当初は磐越西線に乗るつもりでいたが、時間が合わないのとすでに鉄道には乗ったこともあるのとで、初めて乗るバスのほうに日和見してしまったのだ。
会津若松で何をするかというと、福島県の大熊町から会津若松市に避難してきている人たちの慰問である。実は、足湯で慰問をする足湯隊が各所で活躍しているので、私が所属している音楽隊もそれに乗っかったということである。会津若松の指定された拠点につくと、すでに打ち合わせが行われていた。また遅刻である。
会津若松市には大熊町からの避難者が住む仮設住宅が何か所かある。この日はそのうち一番大きな仮設住宅に行き、午前、午後それぞれ2時間ずつ、足湯隊は足湯を提供し、音楽隊は音楽を披露する、という予定であった。いろいろなことはあったが、なんとか終わった。
その後、会津若松駅近くの温泉に入ったあと、拠点に戻り、足湯隊と音楽隊の合同反省会を行った。私は疲れて途中で抜けてしまった。最近途中で抜けてしまうことばかりだ。
2014年10月03日
郡山に行く
この日は夜郡山に行き、宿泊した。その理由は翌日の日記を見てほしい。宿泊したビジネスホテルで無線 LAN が使えたことに感激したが、いまどきのビジネスホテルだったら当然なのだろう。
2014年10月02日
地図を見る
観光地に行ったときでは、なるべく地図を持って帰るようにしている。買ったものもあればもらったものもある。ときによっては、行く前に買う地図もある。いわゆる観光ガイドを買ったときもあれば、国土地理院の2万5千分の1地形図をわざわざ探したこともある。そうして集めた地図を久しぶりに見た。あそこも行った、ここも見た、といろいろなことを思い出した。
2014年10月01日
トイレの順番を待つ
恥ずかしい話だが、久しぶりに朝の通勤途中で個室に行きたくなった。途中の駅でトイレを見ると、すべて個室の戸が閉まっている。先まで行くか、待っても用を済ませるか、今まではそのタイミングがなかなかつかめなかったが、ようやく最近はつかめてきた。今度はここで待つ、と決めて2人並んでいたがその後に並んだ。このときはさほど待つは苦労なく用を足せた。これだけで一日が幸福になったような気がした。もちろん、職場に行って数々のトラブルが待ち受けていたわけだけれど、せめてこれくらいのことにも幸せを見いだせなければ、なかなか毎日生きていくのは大変だ。

