2011年08月31日

バスにゆったり乗る

「バスにゆったり乗りたかった」という理由で、羽田空港行きのリムジンバスの座席を架空の予約で占有した男が逮捕された、という事件が一週間前にあった。

私には気持ちがわかる。バスにはゆったり乗りたい。しかし、悪さをしてまで乗る気にはならない。それに、私の住んでいる長屋の近くに止まるバスはいつもすいている。今日の帰りのバスなど、私ともう一人しか客がいなかった。駅から長屋まで、わずか3分だが、100円でゆったりしてしかも冷房がついているバスに乗れるのだから、生きていてよかったと思う。
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2011年08月30日

涼しい風を気分よく感じる

この日の昼間は暑かったが、夕方すぎに雨が降ったせいか夜の風は涼しかった。このような涼しい風が来ることがありがたく感じる。

この夏はさんざ熱中症のことが言われていた。年寄りは暑さ寒さの感覚が鈍るから、熱中症と気づかずに水を飲んだりクーラーを入れたりすることを忘れてしまい、気付いた時には手遅れになる、などなど。

私は年寄りではない(隠居を望んでいるが今のところ果たせていない)が、暑さ寒さはあまり感じない。それは我慢強さという美徳なのかと思ったが、どうやら最近は美徳ではなくただの強がりだったり鈍感だったりということになる。これが癪に障る。

今年の夏に熱中症で亡くなったかたはお気の毒である。無念の死を前にして少し考えたことがある。今回の電力行政に抗議をするという意味での、ハンガーストライキならぬやせがまんストライキというのはどうか。クーラーをつけない部屋の中で座り込むのだ。しかし、みなにそれを知らせるにはどうすればいいかということでハタと気が付いた。これはうまくいかんな。

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2011年08月28日

録音を聴く

きのうの演奏会の録音をDATでとっているので聴いてみた。会場関係者から言われた通り、ノイズがけっこうある。

もっとも、ノイズのかなりの原因は録音レベルが低かったことにあるようだ。録音レベルを最適化すべく事前にこちらで試し録音をしておくのだった。

さらに調べてみると、ホワイトノイズだけではなく特定の高い周波数のノイズもあるようだった。一つ考えられるのはセミの鳴き声だが、セミの鳴き声がそんなに固有周波数をもっているのだろうか。不思議である。

今日のエスペラント:
ノイズ fonbruo
周波数 frekvenco
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2011年08月27日

演奏会を開く

八重洲室内アンサンブルで演奏会を開いた。場所は上野公園にある東京音楽学校旧奏楽堂である。夏はセミの声が聞こえるよい演奏会場である。

演奏会は多くのお客様が来てくださった。感謝申し上げる。出来もまずまずだったと思うので、成功だったのではないかと自負している。

次回は来年行う予定だが、会場、日程ともに未定である。できれば次回もこの旧奏楽堂で行いたいと思うが、9月の抽選の結果次第である。

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2011年08月26日

チェロの練習をする

この日は会社を休み、チェロの練習をした。というと聞こえはよいが、実際に練習したのは一時間強であった。練習をするのは疲れる。

練習をすればうまくなるはずである。しかし、チェロという楽器は思うような音を出してくれない。だから練習するべきなのだが、練習する勘所というのがまるでつかめない。

最近よく読んでいる青春小説「船に乗れ!」の第3巻で、主人公がチェロの練習に悪戦苦闘する姿が描かれている。このとき、主人公が練習している曲はバッハの無伴奏チェロ組曲第2番のクーラントで、チェロの運指(フィンガリング)や運弓(ボーイング)がわかるぐらい細かく小説には書き込まれている。私などはこの主人公に及ぶべくもないが、チェロの練習の苦しさだけは体感できる。

練習した後のビールはおいしいだろうな、と思い、翌日に回すことにした。
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2011年08月25日

フォーレの幻想曲を聴く

フォーレの幻想曲はいくつかある。

最も有名なのがフルートとピアノのための幻想曲 Op.79 だ。フォーレはプーランクとは違い、管楽器より弦楽器に親近感をもっていたようだ。だから、管楽器のソロの曲は非常に少ない。この幻想曲は数少ない、管楽器のための曲だ。

フルーティストから愛されているこの曲は、序奏のアンダンティーノを受けて快活なアレグロに至る10分に満たない小品である。しかし、序奏のものうげな不安から華やかなフルートらしいパッセージに至るこの作品はフルーティストの宝物である。

最近読んだ本で、藤谷 治「船に乗れ! II」には、この曲のことがグルックの「精霊の踊り」と一緒に出てくる。高校生でフルートのうまい美少年がこの2曲を弾くという場面がある。グルックのこの曲はフルートの曲としては五指に入るぐらい有名で、フォーレもたいしたものである。

もう一つはほとんど知られていないのがピアノとオーケストラのための幻想曲 op.111 である。こちらは 15 分ほどかかる大規模な曲であるが、一般的なピアノ協奏曲と比べると小規模である。フォーレは古典的な様式感を大事にするから、幻想曲という名前でもあまり飛んだり跳ねたりはしない。メロディーも奏するのだが、メロディーとメロディーの間のアルペジオや音階やが妙に複雑で、しかも延々と続く。この微妙な味わいがわからないとこの曲の楽しみが半減する。割を食った曲ではないかと思う。

さて、どちらの曲も久しぶりに聞きたくなって Youtube を探した。フルートとピアノの幻想曲は多くあるが、ピアノとオーケストラのはほとんどない。グラント・ヨハネッセンのは見つかったが、こちらはすでに CD で持っている。ほかの演奏はと思って探すと、ダヴィド・アブラモヴィッチというピアニストの演奏がみつかった。今までのどの演奏よりもさばけているが、味もある。ただ、慣れるまでに時間がかかるだろう。


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2011年08月24日

現像していないフィルムを見つける

15 年以上前のことだ。同僚から一眼レフカメラをもらった。旅に出かけた先でそのカメラでいろいろな風景を撮ったのだが、重いこともありほとんど使わなくなってしまった。ひさしぶりにカメラを見つけてふたを開けるとフィルムがまだ残っていた。感光してしまったかもしれない。あわてて巻いたがもう使い物にならないだろう。フィルムは適当なところで保存しておき、墓場まで持っていこうと思っていた。

ところが最近、近くのカメラ屋で「現像していないフィルムがありませんか」という POP を見つけた。これで私の心にピンときた。ひょっとしたらあのフィルムに写っているものがあるかもしれない。

今度は部屋の中でそのフィルムを探す番だ。なんとか出てきた。今度このカメラ屋に持っていこう。

私の記憶では、出雲大社に行った時の写真があるはずだ。あのときは雨に降られたのだった。

今日のエスペラント
カメラ fotilo 写真 foto から、道具を意味する接尾辞 -il をつけた。
フィルム filmo
現像する riveli
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2011年08月23日

無頓着がはなはだしくなる

困ったことに、家のことがすべてできなくなっている。
同時に二つのことができない。平気で電源コードを椅子の脚で踏んでいる、などなど。

老いが忍び寄っている、ということもできる。否、忍び寄っているどころか堂々と老いに乗っ取られている、ともいえる。

福島第一原子力発電所の事故で考えることがある。放射線障害は避けるべきか否か、ということである。それは避けるに越したことはない。しかし、俺が電気を使っている以上、原子力発電を正面切って避けることはしていなかった。だから、贖罪のために放射線の犠牲になって殉死すべきなのかもしれないと思うようになった。いや、殉死というかっこいいことばではない。

ただ、今すぐはできない。放射線障害はじわじわと来る。俺が生きている期間は 50 年未満だから、もう少し長生きしたい。そこであることを思い出した。タバコの害である。かつての産業医はこう警告した。喫煙者と非喫煙者の平均余命を比べると 70 歳までは喫煙者のほうが短いが、それ以降は変わらない。だから、タバコを吸いたいのであれば 70 歳以降にしなさい、と。

ということは、ひょっとしたら放射能の慢性障害も 70 歳を過ぎたらかわらなくなるのでは、と思ってしまう(全く根拠なし)。贖罪の旅は 70 歳以降にしよう。

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2011年08月22日

スロトレを再開する

最近動きがとみに鈍くなってきた。おそるおそる体重を測ると、理想体重より 5.5kg 多かった。盆の休みのあとでもせいぜい 3.0kg の増加にしか過ぎなかったのに、これはまずい。長らくサボっていたスロトレを再開することにした。

私のダイエット方法の主軸はスロトレである。足踏みを 50 回したあとで、スクワットか、腹筋か、フェンシング(と呼ばれる体の体操)をする。これらは1週間で3回すればよいという。これに加えて、通勤時の朝の徒歩や、昼休みの散歩を加える。そして、毎日の朝晩の体重と歩数計の歩数を記録する。

これらのことをサボっていたから体重が増えたのだと反省している。スロトレは比較的リバウンドしないと聞いていたし、実際サボりは半年ぐらいだったので効果はあったと思うが、やはりサボればサボっただけのつけは回ってくることがよくわかった。

重い peza
トレーニング trejnado
怠惰な maldiligenta
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2011年08月21日

長丁場の練習に耐える

八重洲室内アンサンブルの練習に行った。この日は午後1時から5時までの長丁場で耐えられるかどうか不安だった。実際練習すべき個所は多岐にわたり、なんどもため息をついた。反省会があるということだけが支えだった。

練習を終えて、お楽しみの反省会を5時すぎから行った。I さんから借りた藤谷治の「船に乗れ!I」を返して、「面白い小説でした。II, III を買いました」と報告すると、I さんもすでにII, III ともに買っていた。

あとは本番あるのみ。
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2011年08月20日

セミの死骸を見つける

8月になってから、私の住むコンクリート長屋の通路のあちこちでセミの死骸が目についている。毎日5匹以上は、かわいそうな姿をさらしている。

私が住んでいるコンクリート長屋のまわりは、一軒屋が多くあるが、稲が青い香りを放っている田もあり、野菜が育っている畑もある。森はないが、木も少しはある。ということで、土で長い間過ごしたセミが、多少は高いコンクリート長屋によじ登ってすぐに命を落とすのだろう。

今年は、7月までセミの鳴き声を聞かないような気がした。なぜかはわからない。ひょっとした聞こえていたのかもしれないが、地震と津波と原発事故のせいで、セミのことなど考えられなかったのかもしれない。

8月になり、猛暑が続いた。やっと、暑さのことが身近な心配事となった。もちろん、電力需要の問題もあったが、俺はエアコンが嫌いだから、家ではそれほど使っていない。とはいえ、平日は私は勤めに出ていてビルの空調の恩恵を受けているから、つれあいとは不平等である。だから、つれあいにはエアコンは使いたいときには使えと言っている。

セミはエアコンとは無縁である。もし俺がセミだったら、なんで暑い中鳴かなきゃいけねえんだよお、と文句をいうだろう。でも、セミには文句の言い方が鳴くという手段しかないのかもしれない。

今日のエスペラント:
セミ cikado
虫が鳴く ĉirpi
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2011年08月19日

配置を整える

勤務先で、資料の配置を整える仕事をした。私に向いていない仕事はたくさんあるが(向いている仕事があるのかというと答えに窮するが)、資料の配置を整える仕事は最も不得手だ。

各人から集めた資料をあるべき場所に配置すればいいだけの話だが、それぞれの資料の整合性を確保したり、文字が消えたり間違ったりしているところを探して直さねばならない。

おそらく、ある人からは「あんたは他人のあら捜しばかりしているからそういう仕事は得意でしょう」と皮肉交じりの嘲笑が来るだろう。だが、断固として繰り返す。資料の配置を整える仕事は最も不得手だ。なぜなら、他人のあら捜しは趣味だから楽しいが、仕事になったとたん苦しくなるからだ。

清水義範がある小説のなかで主人公に言わせているセリフがある。

「教科書というものは、およそユーモアとは一番かけ離れた精神で作られている。……少々ユーモアのある文章があったとしても、教科書にのっているという、そのことでユーモアは殺されるのである」


この文章を引用したのは、趣味が仕事に変わると突然苦しいことの言い訳になるかと思ったからだが、全然その言い訳になっていない。自分でも呆れる。

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2011年08月18日

上の階の住人の足音が気になる

長屋に住んでいると、いろいろ周りの音が気になる。ときどき下からはピアノが聞こえることがあるが一過性のもので今は聞こえない。発表会のときだけ練習するのだろうか。

今は上の階の住人で、足音がドタドタ聞こえる。きっと幼児が走り回っているのだろう。ときにはドン、ドンと単発の鋭い足音が何度も聞こえることがある。幼児は無駄に元気である。

かつては俺も床を踏み鳴らすことがあった。中学時代の卓球部でである。スマッシュを打つ時に体重を思い切り左足に乗せて踏み込むので、大きな音が出る。もっとも、俺のスマッシュは弱かったから大した音も出なかった。

なので上の幼児にはもっと穏当な音をさせてほしいと願う。
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2011年08月17日

悪霊島を見る

横溝正史原作の映画「悪霊島」を途中まで見た。映画で刑部島と名付けられたこの島は、岡山県の真鍋島でロケされたようだ。なのに、広島弁でしゃべるのはなぜなのだろう。調べてみると、原作での舞台は瀬戸内海の岡山県だったが映画版では広島県に変更された、とある。
横溝正史といえば、私にとっては広島ではなく岡山が似合う。

さて、この映画はつれあいが録画していたのだが、その理由は「ビートルズの曲である Let it be が出てくる」からである。この Let it be は終わりに少しだけ出てくるが、テレビ放映バージョンではビートルズが歌ったものではなく、別の歌手が歌っている。

さて、舞台が映画で変更されたため、広島弁が出ることはわかった。本州広島市出身のつれあいに言わせれば、俳優や女優が話す広島弁としてのイントーネーションはかなりいいところまでいっているけれど、細部が惜しい、ということだった。もっとも、このドラマの筋立てでは越智姓のお偉いさんが出てくる。越智姓は愛媛で多い姓であり、島の広島弁は本州の広島弁とは異なるのかもしれない。

夏の時期にこのような映画を放映するということは、夏に涼しくなってほしい、ということだろうか。私は怖い思いをしたが、涼しくなるところまではいかなかった。

全然関係ないが、この島に伝わる話があった。島に代々伝わる大きな弓があり、これを引けるのは、だれだれしかいない、という言い伝えだ。これを聞いて、私はホメロスのオデュッセイアを思い出した(というより、フォーレの「ペネロペ」を思い出したというのが正確か)。

今日のエスペラント
島 insulo

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2011年08月16日

ラジオを鳴らして歩くオヤジを蔑む

朝、家から最寄の駅へ向かうとき、すれ違う人の顔ぶれはたいてい一緒である。その中で、困るオヤジがいる。鞄にラジオを入れて、そのラジオから音を出しながら歩いているのである。引き綱をつけない犬をつれている人間もいやだが、ラジオから音を垂れ流して歩く人間も同じぐらい嫌だ。

ただ、なぜ歩きながらのラジオがいやかというと、そういうものだから、というしかない。食堂でラジオがかかっていても、それはそういうところだから、で我慢するだろう。

なお、このオヤジの同類に、自転車のかごに大音量で鳴らしているラジオを入れて走っているオヤジというのもいる。
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2011年08月15日

長谷川きよしの歌に驚く

NHK テレビの懐かしのメロディーという番組を見ていたら、布施明の後に長谷川きよしが出てきた。名前は知っていたが歌はまだ聞いたことがなかった。歌いだした「愛の讃歌」を聴いてびっくらこいた。これは凄い。自由な歌に自由なギターがともに踊っている。これには参った。

ほかの歌手と比べても、長谷川きよしは頭抜けていた、ほかの歌手は、あまり調子がよくなかったのではないか。たとえば岡村孝子も歌っていたが、しばらく歌っていなかったからだろうか今一つ本調子ではなかったようだ。
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2011年08月14日

注文の遅い料理店にいらいらする

八重洲室内アンサンブルの練習に行った。実はこのとき時間を間違えて、2時から始まると思い込んで行ったら5時からだった。それまで、どうやって過ごしていたか、あまり覚えていない。というのも早く行ったわりに楽譜を忘れていたからだ。

みっちり練習をして終わったのが8時だった。いつも反省会を行うのは「大八」という店だが日曜日はあいにく定休日である。そんなときは庄屋にするのだが、日曜日の8時というのに満員で入れない。しかたなく別の店に入ったのだがこれが失敗だった。ビールや酒を注文してから出てくるのに10分以上かかっている。どうも沖縄料理が売りらしいのだが、ひょっとして沖縄時間まで輸入しているのだろうか、というほどの店だった。

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2011年08月13日

人間失格を思い出す

むかしから俺は暗い子供だった。たとえば、こんなことがあった。
小学校六年生の時、なぜかわからないが太宰治の人間失格を読んだ。なぜこの本を手に取ったかはわからない。

俺は、小説の主人公、葉蔵は自分のことではないかと夢想した。俺がクラスで受け狙いのことをしたとき、だれかが陰で「ワザ、ワザ」と言っているのではないか、と気になったりした。もっとも、やはり俺は葉蔵ではないと思った。なぜなら、俺の顔は不細工だが、葉蔵は特徴のない顔だ、と書かれているからだ。

この人間失格で気に入った部分を、俺は新聞の折り込みチラシの裏に書きなぐった。なぜそうしたかは今もってわからない。

そういえば、井上ひさしに人間合格という戯曲があったはずだ。こちらも読まないといけないな。
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2011年08月12日

政治に期待しないところから始める

のっけから妙な表題だが、政治のことで騒ぎすぎると思い、こんなことを書いてみた。
新しい総理大臣が誰かなどと話し合っているが、なまじ期待するから裏切られる。最初から期待しなければいい。もっとも、期待しないといえるのはまだ自分や周りがましな生活を送っているからであって、私が貧乏のどん底に喘いでいたり、知人が国家権力で痛めつけられたりしているのを見たら、私でも政治にかかわろうとして、多少は期待したり、行動を起こしたりしただろう。

このタイトルは、新聞の記事に触発されて考えたものである。私は三無主義の塊でなおかつ悲観主義者だから、最初からゼロ出発でよい。
同じようなこととして、嫌いな人は嫌いなままでつきあえ、という処世訓もある。なまじ期待するとより嫌なところが目につく。最初から嫌な人だというバイアスをかけておけば、当初のバイアスより悪くなることはないだろう、という考えである。もっとも、嫌な奴というのは、当初のバイアスよりもっともっと悪くなることがある。そのときはどうもできない。



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2011年08月11日

歩道を走る車両を憎む

最寄りの駅の近くにパチンコ屋がある。タバコのにおいが外にいてもわかるぐらいなのでいやなのだが、嫌う理由はそれだけではない。

いわゆる景品交換所がパチンコ屋に隣接しているのだが、その交換所に毎朝品物をおろす車が憎い。なぜかというと、その車は車道を通らず、歩道を30m走って景品交換所に横付けするのだ。残念なことに、歩道は車1台が通れるほどの広さは十分にある。また、歩道と車道の間のガードレールも、車1台が通れるほど空いている。

もとからパチンコは嫌いだが、ますますこれでパチンコが嫌いになった。

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