少し大変だったが、せっかく桜が咲いていることでもあるし、近くの綾瀬川に桜を見に行った。いつもは鉄道の陸橋から見下ろしているだけだが、近くで見上げるとまた格別の風情がある。
例年に比べて花見の客が少ないように見えるのは気のせいだろうか。
帰りに歩くのが妙に大変だった。
2011年04月10日
2011年04月09日
練習に行く
今日はセシオン杉並で練習があったので出かけてきた。相変わらずひいひい言いながらレスピーギなどを練習した。練習後は「太陽食堂」で喉を潤した。
2011年04月08日
自炊を進める
計画停電が実施されているというのに、自炊、すなわち本を裁断してスキャナーに読み込ませる行為をしている。読む必要のない本は捨てればよいのだが、いつか読むかもしれないという貧乏性のため、ついついスキャンをしてしまう。捨てずに本棚においては、地震が来たときに本でつぶれるかもしれない。だから、自炊をしている。電気のことは大目に見てほしい。自動販売機も、コンビニも、車も、携帯電話も使わないのだから。
2011年04月07日
高木仁三郎「巨大事故の時代」を読み返す
東日本大震災が起きておよそ一ヶ月になる。そろそろ読もうとしていたのが、高木仁三郎「巨大事故の時代」であった。この本は、原子力の問題を追求していた著者が、チェルノブイリの事故を受けて書かれた。巨大事故全体を俯瞰しつつ、特に原子力関係の問題について切り込んでいる。
いつか書評しようと思っているうち、一ヶ月が過ぎてしまった。
いつか書評しようと思っているうち、一ヶ月が過ぎてしまった。
2011年04月06日
牛の牛肉を捜す
東日本大震災に関連した地震や津波、原子力発電所ののニュースが報道されている。そんななか、俺がひっそりやっていることは、アナウンサーが「牛の牛肉」に相当することを言ってはいないか、という粗捜しである。俺は本当に不謹慎なやつだ。
2011年04月05日
ことばを捜す
4月である。俺のホームページは3ヶ月ごとにテーマを変える。4月から6月の間はことばに焦点を当てる。スプーナリズムはまだまだやることがあるはずだ、メビウスのことばも「反訓」という考えから光を当てられないか。エスペラントも奥が深い、英文法の本もさいきんご無沙汰だ、と考えることだけはできるが、どれをやるにも中途半端だ。それに、ネタとなる言葉が浮かばない。
2011年04月04日
花粉症に負ける
花粉症に負けて、ついに鼻炎を抑える薬を飲み始めた。効果は覿面で、早速鼻水が出なくなった。その代わり、喉が渇くようになった。なかなか思うようにはいかないものだ。
2011年04月03日
検眼を受ける
つれあいに付き合って、少し遠くにあるメガネ屋に行った。このメガネ屋は全国展開しているが、本社は広島にある。
店に入ると、つれあいに話しかけてきた店員がいた。いろいろ話を聞いていると、どうもこの店員は広島の人っぽいという確信を得てきた。
つれあいが検眼を受けている間、別の店員から検眼を勧められた。感じがよかったのでそのまま調べてもらった。この別の店員も、言葉のはしばしから広島を感じた。
私の眼だが、少し「老視」が入っているとのことである(老眼とは言わないようだ)。年が年だから、はいるだろうな。
店に入ると、つれあいに話しかけてきた店員がいた。いろいろ話を聞いていると、どうもこの店員は広島の人っぽいという確信を得てきた。
つれあいが検眼を受けている間、別の店員から検眼を勧められた。感じがよかったのでそのまま調べてもらった。この別の店員も、言葉のはしばしから広島を感じた。
私の眼だが、少し「老視」が入っているとのことである(老眼とは言わないようだ)。年が年だから、はいるだろうな。
2011年04月02日
しっぺ返し戦術を使う
私が住む長屋で、あいさつをしない人がいる。今まで私はそういう人にもあいさつをしてきたが、自分だけ頭を下げたりことばに出したりするのは癪に触ってきた。だから、あいさつをしない人には、こちらからも会釈もあいさつもしない。敵である。
2011年04月01日
汁粉をおいしいと思う
帰りが遅くなったので、自動販売機で汁粉を買った。
自動販売機を使うのは月に一度あるかどうかだ。ふだんの水分補給は、勤務先や家で水道から沸かすお茶やコーヒーである。
汁粉を買ったのは、年に一度は自動販売機の汁粉を飲むことにしているからだ。年に一回海水浴に行きたいというのと同じである。
汁粉がいいのは、その甘さもさることながら小豆の粒にある。食感ももちろんだが、私の楽しみは粒との戦いにある。粒は缶に入っているからすべてを缶から出すことは難しい。一粒残さず食することができればこちらの勝ちだと思っている。
普通に汁粉を飲んでいくと小豆の粒が数十粒残る。そこで、缶を口にあて思い切りすって、粒を吸い出す。一回吸えば 2, 3粒は口の中に入るが、まだ残る粒がある。缶を振って缶に粒が残っていることを確かめ、また思い切り吸う。これの繰り返しである。はたから見ればただの馬鹿だろう。
さて、この日もどうしても吸えない粒が残った。そこで発想を変えた。汁気がほとんどないことを確かめ、缶を逆さにして缶の口を手のひらにあて、缶の底を強く何度も叩いた。すると最後の一粒が手のひらに出てきた。手のひらを私の口に持っていき、舌ですりつぶした。汁粉に勝ったという満足感が沸いてきた。
今まで書いてきたことは四月馬鹿ではない実話であるが、やっていることはただの馬鹿である。さて、これからは4月だ。春を楽しもう。
自動販売機を使うのは月に一度あるかどうかだ。ふだんの水分補給は、勤務先や家で水道から沸かすお茶やコーヒーである。
汁粉を買ったのは、年に一度は自動販売機の汁粉を飲むことにしているからだ。年に一回海水浴に行きたいというのと同じである。
汁粉がいいのは、その甘さもさることながら小豆の粒にある。食感ももちろんだが、私の楽しみは粒との戦いにある。粒は缶に入っているからすべてを缶から出すことは難しい。一粒残さず食することができればこちらの勝ちだと思っている。
普通に汁粉を飲んでいくと小豆の粒が数十粒残る。そこで、缶を口にあて思い切りすって、粒を吸い出す。一回吸えば 2, 3粒は口の中に入るが、まだ残る粒がある。缶を振って缶に粒が残っていることを確かめ、また思い切り吸う。これの繰り返しである。はたから見ればただの馬鹿だろう。
さて、この日もどうしても吸えない粒が残った。そこで発想を変えた。汁気がほとんどないことを確かめ、缶を逆さにして缶の口を手のひらにあて、缶の底を強く何度も叩いた。すると最後の一粒が手のひらに出てきた。手のひらを私の口に持っていき、舌ですりつぶした。汁粉に勝ったという満足感が沸いてきた。
今まで書いてきたことは四月馬鹿ではない実話であるが、やっていることはただの馬鹿である。さて、これからは4月だ。春を楽しもう。

